2006年 08月 10日
谷川俊太郎から学ぶ。
こうして私たちは生きていて、これからも生き続けねばならない。
この退屈で単純な真実だけがすべてを覆っている。
詩もその為の役目をもっているのだ。
詩は私の物ではない。詩は世界のもの人々のものだ。詩人は詩を書く事で、人々と結ばれ、世界と結ばれるという難しい道をゆかねばならない。
時に私も、沈黙によってのみ世界と結ばれると思う事がある。
だがそれさえも、詩人であるための感動の一つの核にせねばならぬと私は思う。
詩人が自らを生かすことと、人々を生かすこととの間には区別がない。
詩人は自らを生かすことによって、人々を生かし、同時に人々を生かすことによって、自らを生かすのである。
詩人が新しい言葉によって自らのジレムマを解こうとする時、彼は同時に人々の生活を変えようとしているのだ。
ー谷川俊太郎
こうも悩みが頭の中に莫大に蓄積し、ズキンズキンと胸を締めつける様な時は、人の言葉などを引用してみるのもいいものだ。
世界の事象なんてのは全て表裏一体で、気持ち一つでどこへでも、どんな世界や、どんな状況にも入れ変われるのだろう。などと思うこんな日には、これくらい能天気な引用が丁度いいものだ。
。。。谷川氏や、他の人の言葉をタイプしながら、自分の中から生まれようもしない、言葉の節や、組み合わせが生成されていく様は気持ちよい。
今。。。途方も無く、新しい何かを求めている。
どさくさまぎれに、プレヴェールの詩などをもじってみる。
そういう能天気な夜も。。。いいものだ。
「夜の故郷」
三回の相槌
一回ずつ打つ
夜の中で
はじめは君の顔を一度きり見るため
つぎのは君の目を見るため
最後のは君の心の中を見るため
残りの空言は
今のすべてを思い出すため
君を想いながら
ジャック・プレヴェール『夜のパリ』
をモジル。
僕はジャック・フミヤール
言葉で伝わらないこともある。
ナルシスが僕を呼んでいるのは知っている。
こういうことを書いたこの瞬間から、より一層の自己批評性を持つように心がけないと。。。腐る。
畢竟、僕が愚鈍にも始めた今日のこの行為は、谷川の引用に起因する。
最近、劇的な出会いを何度かした。
そして、こうして言葉を紡ごうという意志は、そういった人々の生活を本気で変えようとしている清心なる想いがあるからである。
by fumiya0501
| 2006-08-10 00:18